天然青森ヒバを使用
徳川幕府によって天下は平定され、津軽藩も大浦・堀越の居城が手狭になったため弘前城を築城すると同時に城下町も整備されることとなったが、建築資材調達にあたっては付近の山から伐り出されたため石川(弘前市)、蔵舘(大鰐町)の二山を伐り尽くしてしまったといわれております。
その時に多くの天然ヒバが使用され、現存する築城当時の建物が多く残されております。
天守閣については、寛永4年(1627)落雷によって炎上したため、その後の文化7年(1810)に再建されたのが現在の天守閣です。
亀甲門については、城内にある御門の中でも一回り規模が大きく、古い形式を残しております。昭和30年頃亀甲門が解体修理され、柱に無数の矢傷が発見されましたが、調査の結果天正3年津軽為信が大光寺城攻略時の激戦を物語る傷跡であるとして、大光寺城城門を移したものであることが確認されました。
建築用材は青森ヒバであり、矢傷以外に自然の腐植はみられなかったことから、あらためて青森ヒバの耐久性が立証されました。
写真提供:弘前市
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